【個展】『グレゴリオの疲弊/東山区』開催のお知らせ(HAPS KYOTO)

京都府にあるHAPSにて個展を行います。地元で個展を開催して頂けること、そしてこの作品を展示できることを嬉しく思います。
24時間の無茶な収録の為に対応してくださっているHAPSの皆さんと、なによりディレクションの櫻岡さんには頭が上がりません。
初日の24日は変則的に0:00〜24:00まで公開収録のサウンドパフォーマンスを行います。是非よろしくお願いします。
詳細はHAPSのホームページを検索ください!
https://haps-kyoto.com/hapskyoto_selection6/

また展示に関連して、作品を販売しております。 展示している24時間のサウンドを1時間毎に区切ったCDとその1時間分に該当する範囲を切り取ったスコアドローイングがセットになったものです。24時間なので24セットあります。こちらもよろしくお願いします。
https://oil.bijutsutecho.com/artist/2041

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HAPS KYOTO selection #6
宮崎竜成「グレゴリオの疲弊/東山区」

会期|2024年11月24日(日)〜12月27日(金)
会場|HAPSオフィス1F(京都市東山区大和大路通五条上る山崎町339)
鑑賞時間|18:00〜9:30(翌日朝)
休館日|会期中無休
料金|無料
主催|一般社団法人HAPS

※宮崎の作品は2024年11月24日(土)18:00よりアートのオンラインマーケットプレイス「OIL by 美術⼿帖」で購入が可能になる予定です。
※本展はHAPSの東山オフィス1Fに展示された作品を、ウィンドウ越しに建物の外からご鑑賞いただく形式となります。終夜のご鑑賞が可能です。

■ステイトメント

「11月か、もうすっかり寒くなってきたなぁ」。

ふと、季節の変わり目を感じながらスウェットを着ようとする際に、その温度感覚よりも数字が先行していることに気づく。着替えた後で手に取ったスマートフォンに入れられた「Lifebear」というアプリには夥しい量のスケジュールが刻まれており、1時間単位で私の行動が分節されている。

「忙しいところすみません」。

連絡するときもされる時も、親しければ親しいほどこの一文から始まる。打ち合わせ日程をすり合わせるために、日程調整の数字の羅列に○と×を記入し続ける。

暦は人類が発明した最もマクロなリズムの単位であり、それは太陽や月の周期といった天文学的な規則性によって裏打ちされてきた。月の周期で潮が満ち引きし、太陽の周期で季節が変化する。こうした変化の周期に合わせて、人々は農作や漁業を行ってきた。現代においても、暦の周期は私たちの生活リズムや、ひいてはその集合である社会システムを形成する根本的な構造を担っている。それは、言い換えれば、暦は人々にとっての時を支配する装置であることをも意味しており、暦の策定や改訂の歴史は、時の権力者の統治の歴史と表裏一体であった。

かつて用いられたユリウス暦は、太陽暦をベースとした極めて高精度な暦として策定され、権力の誇示としても利用されたが、そのユリウス暦をキリスト教の物語として描き直したものが、現在、世界で最も用いられており、日本でも採用されているグレゴリオ暦(西暦)である。

グレゴリオ暦は季節の節目に設定される祝祭をキリスト教の物語へと置き直し、キリストの誕生を境に紀元前/紀元後とする。全ての始まりがA.D(Anno Domini*主の年)であり、此処から先は無限にキリストを起点とした時間が単線的に延び続ける。

現在、私たちのどれだけがキリスト教の物語と日々の生活を質感として重ね合わせられているだろうか。少なくとも私にとってそこには大きな乖離がある。乖離することによって形骸化した暦の数字は、身体と時間との関係を量的な規格の中で把握し、分節するものとなった。その結果、加速する情報と資本の流通の中で、「タイパ」と称していかに「数字の中」を効率よく埋めていくかどうかが、「うまく生きる」ことの処世術になりつつある。

量的な時間の中で時を歩むことは、無限に引き伸ばされた現在の中で走り続けるような、終わりのない疲弊を感じる。一方、畑仕事をする農耕者は、日没の夕焼けの眩しさをきっかけに身体の疲れを感じ、ある種の達成感を伴った疲労として身体を分節していたはずだ。

しかし、私はそんな過去の生き方に戻ることを提案したいわけではない。こうした現代の構造にありながら、そしてその構造の中で、まず数値化されない質を享受するところから、時間と自身の身体との感覚をキャッチする装置を空間にブチ込んでみる。それがこのたび展示するグレゴリオ暦を噛み砕く「時計」であり、「演奏」であり、「音楽」である。

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