グレゴリオの疲弊(2024〜)

Sound performance
microphon,text,24 percussion,score drawing and more…
performanced by Ryusei MIYAZAKI
24h00m00s


Content

0時から24時までの24時間のあいだ、演奏を行うサウンドパフォーマンス 。舞台には丸い形をした打楽器(接触すれば音がなるもの)が円形に24つ並べられている。演奏では円形に並べた24個の打楽器を1時間ずつ時計回りに演奏する。会場の壁には暦の歴史についてのドローイングが書かれており、それが演奏のスコア(楽譜)の役割をもつ。このスコアは2024年8月31日の石川県にある内灘という海の潮の満ち引きの高さに合わせて山なりに書かれており、演奏ではその高低差に合わせて、演奏する音をルーパーで重ねたり、強弱をつけてゆく。
また、楽器の周りにはライトが6つ置かれており、壁のスコアを照らしている。ライトは4時間に一つ時計回りに消えてゆく。ライトが消えることによって見えなくなった壁のスコアは演奏が終わったことを意味する。
こう言った演奏装置は量的にではなく質的に時間を知覚するための時計であり、ミクロとマクロのさまざまな周期やリズムが複合してできている。
グレゴリオ暦は生きる時間の営みを全てキリスト教の物語に還元しすることで、身体と時間との関係を数値化された定量的規格の中で把握し、分節する様なものとするに至った。量的時間の中で時を歩むことは無限に引き伸ばされた現在の中で走り続け、終わりのない疲弊を感じる。振り返って時間を辿れば、全ての始まりがA.D(Anno Domini)であり、此処から先は無限にキリストを起点とした時間が単線的に延び続ける。
そこで私は、今回こうした定量的な、かつ、キリスト教の一般化を図って全体化された時間ではなく、まず数値化されない質を享受するところから時間と自身の身体との感覚をキャッチする「時計」を作ってみようと思った。

パフォーマンスの準備が激動すぎて、記録映像を自分で撮影したり、頼んだりするのを完全に忘れてしまった。マズイ…しかし!来場者の皆さんが動画を撮っていてくれたので、お願いして映像を提供して貰った。
こうした動画を時間軸に合わせて繋ぎ合わせ、一本の記録映像へと編集した。ホームビデオのような距離の近さを感じる記録になったので、意外とこの質感が気に入っている。画質などのクオリティではないこの質。