カレンダーの作り方/使い方(2023)

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現在日本を含むあらゆる国で採用されている西暦(グレゴリオ暦)は非常に精度が高いものの、キリスト教由来の太陽暦として生まれたため、日本の時間の移り変わりとは質的に噛み合わず、一年という時間の周期を数値的なものに還元していると日々感じる。その感覚に端を発した作品。
石川県金沢市内灘町に面する海の潮汐をベースとした新たな暦を発明し、それを数値ではなく直感的に把握できる遊具的なカレンダーと、その説明書となる映像作品をセットで制作した。
発明した暦は周期を持ちつつも、一日の始まりと終わりが流動化する設計となっている。
説明書としての映像では内灘の海の砂浜にて24時間座り続けた映像に以下のテキストが流れている。

現在、多くの国で基準となっているグレゴリオ暦(西暦)は、地球が自転する一周分の時間=24時間を1日とし、太陽が黄道上の分点と至点から出て一周する日時=約365.2421日を一年としたものであり、それは太陽暦=太陽を基準にした暦となっている。
グレゴリオ暦では、400年に97回の閏年(一年を一日追加する)を置くことによって、一年を365日とした際に生じる太陽年(365.2421日)とのズレを極めて精緻に修正する。その精度は、一年で約0.000310428日、つまり3221年かけて1日のずれに収まるほど正確である。
グレゴリオ暦の紀年法はキリスト教に則っており、それをキリストの受肉から数える。そのため、グレゴリオ暦はキリスト教が盛んな地域で用いられ、1873年の日本での導入を皮切りに、非キリスト教国家にも導入されていくこととなった。
グレゴリオ暦は極めて精度の高い太陽暦であるため、季節と暦の月日のずれがほとんど見られないものの、年初の日付が暦の根本である天文学的な現象と無関係であることや、各月の日数が不規則であるため、季節の変化それ自体や月日の移り変わりを天文学的な現象ではなく、キリスト教を起点とした数字的なものとして把握するようなものとなっている。
そもそも暦は狩猟文明から農耕文明に映る過程で、食物の成長やそれにかかわる季節の温度変化といった生産、収穫、貯蔵に至るまでの過程を、食物と季節の関係によって生じる成長と衰退の「周期」に合わせる必要に応じて生まれた。
エジプトでは紀元前3000年ごろ、毎年初夏の雨季の頃にナイル川が氾濫して大洪水をもたらす際に、決まって東の空にシリウスが輝き始めることに気付き、シリウスが出てから次のシリウスが見える前日までを365日=1年とするシリウス暦が作られた。それは、洪水から始まり、水分を得た土壌への種まき、収穫というサイクルへとつながる。
それから暦は権力者によって様々な天文学的基準によって暦の精度向上を図っていったのだが、それは宗教上の権威を示すなど、民を支配する権力者の象徴をなしていた。
暦自体も、人々の生活を記し付ける絶対的な基準として機能しうる。それは、過去を記録するのが「歴」、未来を記録するのが「暦」という言葉がよく示している。

海は毎日、潮の満ち引きという海面の昇降運動をおこなっている。それは潮汐と呼ばれ、水位が最も高くなる時を満潮、そして水位が最も低くなる時を干潮と言う。
潮汐は、24時間で満潮、干潮がそれぞれ2回ずつ訪れるが、最初の満潮から次の満潮までの周期は平均して約12時間25分であり、満潮の時刻は太陽暦の日時換算で1日約50分程度ずれ続ける。
それは、海の潮汐が主に月の引力と地球が月に引かれることで地球全体に一様にはたらく慣性力との合力であり、地球が月の周りを一周する時間が24.841時間、よって太陽を基準とした日時=太陽日に対して、約50分ほど遅れていることによる。
そのため、満潮と干潮が太陽日の中で1回ないし1回も無い日も地域によってそれぞれ現れる。
また月の公転軌道は地球の赤道に対して傾いているため、同じ日の干潮・満潮では1回目と2回目とで同じ場所に働く潮汐力は異なっている。つまり、潮汐運動は、月や太陽による天文学的な力学によって、地球が差異伴いながら異なる天体との運動の絡み合いによって反復する、地球のグルーヴや振動を最も顕著に見ることができる。
そして、海水の慣性や海流、塩分濃度、気圧、形状などの様々な要因が絡み合うことによって、それぞれの海面の固有振動にずれが生じ、それによって潮汐運動も地域ごとに、それぞれ別の形で天文学的に導かれる時刻とずれが生じ、また水位も異なってくる。
石川県河北郡に属する内灘町は日本海に面しており、辺り一面、消波ブロックも何もない広々とした砂浜海岸が一面に広がっている。その光景は海の水平線がどこまでも広がりながら、その水平線がどこまでも近づいたり、あるいはどこまでも遠く離れていったりするような、海の空間と距離とが身体に浸透したり、跳ね返したりするような感覚を与えられる。
また日本海であるため、常に激しい波打のうねりが寄せては返してを繰り返す。
そのような光景であるため、潮汐運動による海面の昇降を顕著に体感することができる。
夜は海側は灯りひとつない暗黒が広がっており、そこでじっとしていると、自身の身体が風景に混じっていくような、輪郭が解ける感覚を覚える。
一方で後ろを振り向けば、すぐさま車道が通っており、蛍光灯の光で街が照らされ、急に自身の輪郭に身体が引き戻される。
そんな内灘町の海を、総称して「内灘」と呼ぶこともしばしばである。

内灘暦は内灘の潮汐運動とその周期を基にして考案された暦であり、それはこれまでの暦のように絶対的な基準値による周期性を基にするのではなく、周期のずれや相対的な時間を前提にして考案されたものである。
内灘暦では夏至ごろに現れる四季の移り変わりの中で最も水位の上昇する大潮の日を一年の初めの月とする。
そして、内灘では12時間25分ごとに満ち潮と引き潮が2回ずつ現れるので、太陽日でいうところの午前0時の大潮の日を初めの月の1日目とする。
そこから満潮は12時間25分ごとに訪れ、約15日経つとまた午前0時に満潮が周期する。
これは月の満ち欠けの周期と同期しており、月が地球の周りを一周する29.5日を一月とする太陰暦にある程度基づいている。内灘暦の1日はこの満潮の時刻を基準にする。
そのため、0時始まりの次の日は1時始まりと言ったように、1日ごとに始まりが約1時間ズレるので、夜が1日の始まりになる日も存在する。
内灘暦では、このずれを伴いながらも周期する15日を一ヶ月とし、それを24回繰り返すことで一年とする。つまり、一年は24ヶ月で周期する。
しかし、15日の24ヶ月区切りでは合計日数が360日となり、太陽年の365日に対して5日少ない。そのため、一年の周期における季節のずれが顕著である。
しかし、内灘の潮汐では、午前0時から次の午前0時に周期する直前に24時間50分の間、満潮が一度も訪れない日が数日存在するので、
一年のうちに5回その日を「内灘日(閏日)」とし、一年を365日に調整する。
内灘日の挿入の仕方は、そもそも満潮の15日周期自体が、固定されたものではなく、13~17日までの揺らぎを伴っているので、その年に合わせて15日より少ない満潮周期のタイミングで各自が任意に挿入できる。
内灘日は休息日として、一日何もせず、太陽の移り変わりや波の満ち引き、風の感触、そして自身の心臓の拍動などに24時間と50分集中することで、身体的にに時間の周期を取り入れ、また取り外したりする。
内灘暦では、時間も潮汐運動によって把握するため、その日ごとの内灘の海面の振動や潮汐の昇降に合わせた波形の音を聞くことで時間の流れを捉える。
既存の暦では「週」という区切りの概念が存在するが、週は天文学的な周期では無く、人間が設定したよりミクロな周期性であるので、内灘の海の時間そのものを暦として生活することを念頭においた内灘暦では採用されない。
このように内灘暦は、月の周期と、太陽の周期を組み合わせた太陰太陽暦に内灘の不安定な潮汐を加えることで、月と太陽の周期を絶対的な基準ではなく、それぞれの一致と揺らぎが顕著に体感できる、振動する暦として存在する。
それは数字で未来を記録する「暦」ではなく、未来の記録のフレームそれ自体を、自身が内灘の時間と共に記録しようとする揺らぎを伴って、質的な体感として生活という持続に与えようとするものである。