ローカル

 当たり前だけど、東京では沢山の展覧会が行われている。関東に住んでいればインスタントに見て回れるのだろうけれど、いわゆる地方に住んでいる人、例えば私の住む石川県では関東に行くだけで往復2万円(最安値の夜行バスに乗ったとしても5,6千円)かかるわけで、貧乏である身としては己の命を削る行為だ。いくつかの、あるいはたった一つの展覧会を見る目的のために1万円以上のお金と丸一日の時間を懸ける。だから鑑賞にも気持ちが入り、どんな展示でもめちゃくちゃ緊張感が出る。みんな丁寧に鑑賞すべきだ、と強く啓蒙する気はないけれど、ここ数年こうした移動と鑑賞を繰り返すうちにそういう癖がついてしまった(一方で丁寧に見ることに従事することの危険さもあると思う)。

 結局何が言いたかったかというと、昨日、後輩の展示の作品画像をツイッターにあげたら結構な数のいいねがついて、それはとても嬉しいのだけれど、結局、それはインスタントな確認作業と変わらない訳で、ちょっとモヤっともしてしまうというか…いいねっと思ったらその勢いでこっちに来てみろよ!と少し思ってしまう。いや、SNSなんてそんなもんかもしれないし、こんなマウンティングみたいなこと言うのはよくないよな。うーん、そうなんだけど…やっぱりこんなふうに思ってしまうのは事実だな。ただ、そんな大規模な展示ではないかもしれないけれど、溢れる情報メディアツールの波でふと指を止めてボタンを押したその先に、少し身体を削って訪れてみてほしい。たった一つの展覧会のために体と心を向ける。その緊張感の中で鑑賞する。そんなことが自分の身の回りで起きている面白い事にもっと起こったらいいのに、とそんな自分勝手でわがままな思いなのです。
 自分も最近は注目されている大型の展示を見るためにしか遠征しなくなってきているから、もう少しふと気になったものに対して突発的に体を運ぼうと思う。

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