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  • 2023年なんか振り返っちゃったりして

     2023年がもうすぐ終わる。私は今、実家に帰省をし、紅白をBGM程度につけながらこの文章を書いている。さっき、あのちゃんの「ちゅ、多様性。」を聴いて、あまりにもビート、調、展開、演奏、その全てが相対性理論すぎてもはやパクリの域やんけて思ったら元相対性理論の真部脩一が作曲やった。 …すんません、本家本元でした。 さて、2023年はあまりにも最高速度で数多を駆け抜けた一年だった。とても全部を振り返れる気がしない。一月は、博士論文を提出して解放されたかと思った束の間、迫る修了展。作品は何一つできていない。そして用意された巨大空間。さらに、同時に迫る大学の誌面に掲載する論文の締め切り。しかし、博士論文を乗り越えた私にとってそれは些細なことも同義であって、ひたすら毎日制作をしながら、論文執筆のために博士論文で奇しくも書ききれなかったメルロ=ポンティ論をまとめつつ、『眼と精神』を中心に主要書籍をひたすら精読。博士論文に間に合わなかったとはいえ、12月までにかなりまとめていた過去の自分のおかげもあって、執筆は1週間で一通り描き切った(その合間にも金沢市民芸術村での仕事を並行してやっていた)。 二月は修了展と同時に博士の学位審査。金沢美術工芸大学では他大学では見られない、学位審査の口頭試問を全て文字起こしし、公開するという制度があるため、詳しくはそちらを見てください→口頭試問 外部審査員は秋田大学の小倉拓也さんにお願いすることになった。文字起こしがあることによって、良くも、そして奇しくも振り返って確認することができてしまう。これを書くにあたってあらためて口頭試問を読み返すと、小倉さんが聴いてることに対して全然返せていない。今ならこう言うかな、という考えが浮かぶ。悔しさにも似た羞恥心が込み上げるが、振り返ることができるからこそ、まさに差分として当時の自分と今の自分を重ねたり、引き裂いたり、それを絡ませたりすることができる。それは、弁証法とはまた違う、「より良い」への向かい方だ。 やばい、一個一個振り返って行ったらきりがない、もう新年を迎えてしまう。せっかく書くなら読み手にとって面白い要素を盛り込みたいみたいな、そういった打算のせいで全然進まない。でも、この振り返りはまずもって自分にとってのものだ。今年起こったことはひとつひとつ言葉に残したいと今の自分が思っているのだから、気にせずタラタラ書いていこう。二月は審査の他には、金沢美大油画専攻の助手に落ちてどうしていこうと思っていた。落ちたのはいいんだけれど、二月なんてもうなんの求人も残ってないんだから、二月に結果出すなんて残酷すぎひん?絶望の中、三月も下旬に差し掛かった頃、工業高校デザイン科の非常勤講師をしないかとの連絡。もう他に当てがなかったから、詳しい内容を聞かずに即答。二日後に面談をしてどうやら実習や美術の授業ができるような話を聴いて安堵するが、4月8日、蓋を開けてみれば美術の授業はひとつもなく、ゴリゴリの製図と座学を教えることになった。こうして大学卒業一年目を必死の勉強漬けで迎えたのである(これがまた勉強が大変な上に生徒との接し方に悩んで4,5月はずっと鬱気味だった)。 やばい、ほんまにやばい、あと30分で年越ししちゃう。もう箇条書きに近くてもいいから起こったことを描いていこう。 あまりにも学校がストレスで、4.5月は毎日家でずっと治癒するように絵を描いていた。6月は芸宿10周年イベントを足立雄介君と企画し、私は金沢美大彫刻科の福士りささんの個展と、ケルベロス・セオリーのプロジェクト&展示をメインで行った。ケルベロス・セオリーのお二人は快く企画を引き受けてくださって、金沢の中にコロナ以前まで続くホモソーシャルなコミュニケーションとは別の回路をトーク、展示、ワークショップで検討するものだった。それが翻って私自身も金沢でのコミュニケーションそのものを相対化するきっかけにすることができたと思う。 ああもうだめだ。間に合わん。とりあえず年が明けてから書き足すから描きたい項目箇条書きしてとりあえず終わりますね。すんません….6月の愛知県での展示。7月は石川県問屋町で行った個展。10月は原っぱ運動会、SEASON 2。11月はレトロニムキュレーションのビジター・キュー、箔一ビルでの個展。  ふう….とにかく、今年はいろんな方々と関わり、出会い、それが乱反射するように紡がれる年だったように思う。人に感謝するばかり。と同時に、今年は金沢にさまざまな場所を作ることで動きを作ろうと奔走し、それを個人の県外の仕事にまで波及させつつ、自身の活動も行っていたような感覚がある。そのおかげでできた仕事がたくさんあった。本当に感謝をしても仕切れない。 それを踏まえて、来年は28歳。もう30代を目前にして、今自分が考えてること、制作のアイデア、そして技術をゆっくり丁寧に膨らませながら結実させる一年にしたいと思う。平たくいえば自分のことに集中しようってことやね。 だから来年は今勤めている金沢市民芸術村や高校の非常勤を辞める。よって完全無職。どうなることやら….。でも今年作った場や作品によって掴めそうなテーマや形をじっくり膨らませるための材料がたくさん手に入ったから、とても前向きな気持ち。お金は最悪なんとかなるやろ。 それじゃあまた来年もよろしゅうお頼もうします。ほな!!

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  • 仕事とか趣味とかわからん

     さて、最近、職場の一つである某高校の忘年会があり、来年も続投の意思があるかどうかを聞かれた。  まずい、何も決まっていない。かなり距離の離れた席でベテランの先生が「最近の若い人は仕事はしたくない、でも作品は作りたいなんて言っていてどうしようもない」という旨(というかほぼ原文ママ)の発言をしているのが聞こえる。いやーまあ、全くもってその通りですという気持ちと、いや、全くその通りではありませんという気持ちになる。もはや、私が別の職場である美術施設でイベント直前の搬入準備があり、飲み会の一次会が終わった9~10時あたりからまた現場に戻らないといけなかったとしても、「あ、今日は飲めないんですー」と言えば「車?代行代払うから飲んでいきなよ」と言われ、そうなると、もう「こちとら別にあななたたちと飲みたくなくて飲んでないんじゃないのよ、別に飲みたいとは思ってんのよ、ワイン好きなのよ。今、この目の前に広がる能登牡蠣のアヒージョを前にしてジンジャエールを飲む私はなんと愚かなと思ってんのよ」って気分だから、正直に「この後仕事で職場に戻るんです…」というと、「また可愛い言い訳しっちゃって」と茶化される。別に私はそういった発言にイラッとせずに受け流せてしまうのだが、それよりも、ああ、こんなにも「美術やってます」という私なりの仕事のあり方は伝わることがないのだと、博士を出て突きつけられるばかりである。  とはいえ、確かに、冷静になってみれば夜10時に職場に戻るなんて意味がわからないよな。そりゃそうだ。嘘ついてるに決まってる。そう思う。そして、そういった働き方に問題があるとも言えるだろう。だが今問題にしている事柄の根本はそこではない。私が高校勤務以外で行っている一才は仕事認定されていない。そこが肝である。平たく言えば趣味的に映る、あるいは趣味性を欲望されると言い換えても良い。少なくとも周りの一部の教員としては、アーティストというのは、しっかりと美術教育に邁進しながら団体公募展で会員になったり受賞したりすることなのだ。  それを否定するつもりも毛頭ないし、ある面ではとてもリスペクトしている。ただ、そんな中で、私が施設で展覧会を企画したり、事務仕事をおこなったりすることの細やかな機微をどんなに説明しても、それはリアルな事柄として受け取られない。アーティストとしての展覧会活動やフリーでの演出の仕事となるとなおさらである。フリーランスとしての制作は、ここで非常勤講師をやらねば生きていけない時点でどのような機微があろうと趣味的に認定される。  でもいや待てよ。私は、自分が面白いと思ったこと、自分のいる場所で制作を信じるために必要だと思うことをするためなら自腹で有金を使いまくるというメンタルなのだが、今はその元手に非常勤講師をやっている。じゃあ稼いだお金を消費して展覧会やらイベントやら制作やらをやっているなら、それは確かに対外的に見たら趣味性以外の何者でもない。よく言われる仕事の定義は、その労働の対価として金銭を支払われるものだ。  私はここ一年で、ありがたいことに対価が発生する展覧会やイベント運営に参加させてもらったが、とは言え、それだけでは到底生きられない。また、そもそものメンタリティとして、私の優先順位は真っ先に[自分のやりたいこと]があり、ついで、[それが何を打ち立てるのか]という気持ちがある。次いで、自分のいる場所で制作を信じるために必要だと思うことを考えて動く。そして、このメンタリティによる出来事の連鎖をどう「持続させるか」、それを精一杯考える。正直、持続のさせ方は一定ではない。コマーシャルでバカ売れするのか、助成金取りまくるのか、あるいは他で稼いでそれを突っ込むか。そう言った在り方を必死に模索して実践する。だから、そういう意味では、私のやっていることは仕事なのか趣味なのか正直わからない。いや、むしろどっちでもいいと思っている(いつも仕事や趣味を聞かれた時に困る)。大事なのは「持続させること」、つまり活動するための「技術」とその「内容」のせめぎ合いである。  とはいえ、高校で勤めているからには存分にやっているし、勉強にもなる。ただ、長期的に続けたいかといえば上記のせめぎ合いを経て、正直わからない。他の方法やルートもある。その委細を必死に編み込む。そんな私が、「来年も続けるの?」という質問に対して「うーーーん、正直わからないです」「じゃあどうするの?」「決まってません」と答えることによって、「働くことに向き合わずダラダラふわふわ人生を遅延させる近頃の若者」と認定されても、それはおそらく、嫌味でもなんでもなく何も間違っていない。

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  • 2022年なんか振り返っちゃったりして

     2022年もあと数時間で終わる。そう、終わるというのに、私は今、大学の満期論文執筆、そして職場の契約書類一式の作成に追われている。きっと年越ししたらすぐに来年の仕事が降りかかってくるだろうし、満期論文の執筆も続けなければならない。なんてことだ。去年の今頃はどうしていただろう、と思い返すと去年は去年で1月7日から始まる名古屋での展示の為、作品制作や事務作業に追われていたことを思い出す。年越しの12月31日の夜から1月1日の夜まで実家に帰省して、それからの三が日は必死で自分の作品を制作し、4日には搬入のために一人で雪道の中ハイエースを爆走させていたのだ。しかも搬入は三日間使う予定なのに、ハイエースを借りれたのは1日だけだったから、1日目の搬入が終わった夜にそのまま金沢へ蜻蛉返りして、三時間だけ仮眠したのちにまた自分の車で名古屋まで行ったのだった。しかも、その日は岐阜方面の雪が凄く、高速道路も下道も通行止めラッシュだったから、道程の半ばで石川まで引き返し、福井の雪がマシな道から大きく遠回りしてなんとか名古屋にたどり着いたという経緯がある。そんな満身創痍の中で着いた途端に搬入作業。しかもその搬入で映像の同期が上手くいかないという大トラブルが発生。結果的にはなんとかなったけれど、その日の夜のホテルでは辛すぎて、カップヌードルチーズカレー味をすすりながら泣いたことを覚えている。 かくして、今年のスタートダッシュが切られたというわけである。ちなみに、この時は職場で『何かを忘れているような気がする。』という展覧会がほぼ同時で開催予定であり、その準備にも同時並行で追われていたのだった。さらには、博士論文の提出も一年を切っていたわけだけれど、この時点では、まだ出すかどうかさえ決まっていない。  2月はほとんど記憶がない。職場の企画は順調に進み、そのおかげで自分の制作に最も集中できた月だったと思う。この時の日記を見返してみると、油絵具を触ることにえらく感動していたり、自分はゴミしか作れないなどとほざいていたり、論文のためのの文章が全く書けないと嘆いていたり、かなり情緒不安定だったな。4月〜7月は職場でなぜか2000人規模のイベントを主催し、二組のミュージシャンと仕事をした。このイベント運営を経て、エンターテイメントとしてのイベントがどのようなプロセスを経て作られているのかを実感する。それ以降はテレビや何かしらのイベントを観ていると、それがどのような予算で、どんな契約でやってるんだろうという裏側がしきりに気になるようになった。そして、5月は今年博士論文を出す決意をして、ようやく本文の執筆に着手し始めたタイミングでもある。4月時点では、在学延長して4年目に突入する気満々だったから、これは自分の中では一大決心だった。なんで決心できたのだろうかと思い返してみれば、それはどうせ4年目に突入したとしても、もっと調べなきゃいけないと思うことが続々と登場し、結局また延長したいと思ってしまうだろうなという予感を感じ取ったからだと思う。現状でのベストを尽くすためには、最大限ポジティブな「諦め」が必要だという確信。とはいえ、論文の後半にあたる芸術論は何を書くかほとんどまとまっていなかったし、一章を書くのに苦戦して、一章だけで二ヶ月をかけてしまった。そうこうしてるうちに7月からは9月に控えている東京での個展のため、制作に集中しなきゃいけなかったから、結局9月までにかけたのは一章と二章の途中までの計2万字程だった。やばい。まじで書き切れるのかって感じ。とはいえ個展は迫るし、東京では初だし、ってな感じでもう身体はぐちゃぐちゃ状態。東京の個展はもう走り抜けた、走り抜けたが故に全然実感がないという具合。とはいえ、自分の中での大切な人たちに見てもらえたことは嬉しかったな。そんで、個展のステートメントに書いたことが、結果的に論文の最終章の中核になったし、なんだかんだ、わからないなりに全力でやってると繋がっていく物だなとも思う。しかし、個展の感慨に浸るまもなく、搬出の次の日には論文の予備審査に突入。予備審査は、博士論文を書き切れるかどうかを審査するもので、この時点で論文が7割進んでいることが前提であった。とはいえ、手元の成果は最大限ポジティブに見積もっても2割進んでいるというのが限界な本論のみ。しかも論文全体の要旨を書かないといけないという悪夢。そんな時間がどこにあるというのだ。もう身体は限界だ、という具合。とはいえ、そんな極限状態で論文全体の道筋を確定していかないといけないという条件が、後半の芸術論の道筋を決める後押しをしてくれた。予備審査では7割進んでいるという虚言を吐きながら、ここからギアを数段あげなければいけないと背筋が伸びる。だけど、9月、10月は職場で私がメイン企画の展覧会とイベントが開催される上、その規模もデカい。毎日のように仕事に追われる中での執筆で、もう肉体も精神もぶっ壊れそうだった。いやむしろ、もう本当に、精神崩壊のその先までひっくり返ってた気がする。こんなんで完成させるの不可能だろ、と思いながら毎日、家で嗚咽していた。朝から夕方まで仕事して、夕方から深夜4時まで執筆、そこから3時間寝て朝7時から9時まで執筆、そこからまた夕方まで仕事のループ状態が続く。論文は、第3章まで完成したところで指導教官の先生に一度全体を見てもらったのだが、そこでもらったアドバイスがめちゃくちゃクリティカルで、初めて構造的な論文の書き方を理解した。そこからの執筆は、当然、本当にしんどかったけれど、それを上回るくらい楽しくなった。そこから今まで2つくらいしか付いていなかった註が100を超え、執筆のスピードも上がった。4章を書き切った11月初めには、もう完成できる、という確信が生まれていた。ラスト一ヶ月の11月はすべての仕事をほぼ休止して怒涛の執筆漬け。になるかと思いきゃ、大学に交換留学できていた学生と3つのプロジェクトをすることになって、それと同時並行での執筆。しかも打ち合わせはほぼすべて英語。どうなってるんだ、もう。なんか怒涛だったとしか書けないな。とはいえ、同時並行で行っていたイベントはどれも楽しかったというのは付言しておきたい。  こうした様々を経て、12月2日に博士論文を提出…………..。正直、これを書いている今も提出した実感がない。とはいえこうして一年を振り返ってみると、なぜ書き切れたのか自分でも判らないな。だから、確実に、自分にとっての過去として切断されてはいるんだろう。論文を出してからはトークイベントに出演したり、修了制作点のための作品制作を開始したり、満期論文を執筆したり、ちょうど数日前に終わった職場での展覧会を準備したりと、結局は忙しなく動いている。そして、来年も同じくらい忙しないことが確定しているから、来年どうしようか、などと考えることはしない。というか、できていない。強いていうならば、来年で現在の職場をやめるから、再来年に海外での留学、もしくは年単位のレジデンスに行く為の助成の準備をすることと、制作と発表を淡々と続けていく、ということに注力しようと思っている。  今年もいろいろな人にお世話になったなあ。今年のイベントの書類、今日までに作りきれなかったなあ。仕事納めとか無理だったなあ。そもそも今、来年の終了制作に向けての制作に邁進しているから、もう年を跨いでいるんだよなあ。まあいろいろ書いたけど来年も金沢でみんなよろしゅう。私を理由にみんな金沢に来るんや!絶対な。ほなまた。 

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  • 作品展示の倫理について

     今日、ロープを張り巡らせた建築に女性を吊す作品の安全面を批判するツイートが流れてきた。批判してる方の意見は当然分かるのだけれど、わたしの家の天井照明もふとした劣化で落ちてきて、来訪者に激突し、死ぬこともある。とはいえ日常生活の中でそんなリスクは全くと言っていいほど問題にならない。「リスクは最大限軽減すべし。」という議論はパブリックという状況下になればなるほど顕在化する。コロナも同じ。おそらくこの顕在化が国家レベルで掲げられることを生権力というのだろう。ただ、それが生活と表裏一体となったとき、偶然訪れる死という避けがたいリスクについてはまるでなかったことになったかのように後退する(車の事故や我が家の照明のように)。わたしは美術作品に関わらず、あらゆる局面において、リスクの軽減と技術についてのみ言及することには懸念がある。なぜなら、リスク軽減の最大化のみをあらゆる場面に適応させるロジックは、突き詰めていえば、「家の壁は鋭角だらけで危ない、ぶつかったら死ぬ!だから家の壁は全部丸くしましょう!」にまで及んでしまうからだ。ここでは我々がリスクとどのような関係を結んでいるかが置き去りにされている。  つまり、ここで問題に挙げるべきは吊るされた女性アクターがこれらのリスクを作品のために背負っているか、そして作家当人がそのリスクを自覚しているか否かだ。作品におけるリスクの線引きとケア、そして自由の検討はそこから始まるが、パブリックになればなるほどそこが見えなくなる。これは生権力のあやうさと倫理についての問題といえる。  ああ技術というものの信用の高さたるや。スタントマンは、めちゃくちゃ危なくて、死ぬ確率も高いことやっているのに、演者の技術があるからみんな納得する。どんだけ技術があってもバンバン怪我したり死んでいるとしても、だ。「技術によって最大限リスク回避しました。」という免罪符がどれだけ有効か。大事なのはそれだけじゃなくて、スタントマンが相応に死のリスクを負っているということもあるというのに。  それを鑑賞者のリスクとして考えると、わたしは鑑賞者が相応の確率で死ぬかもしれない展示はやってよいと思う。そのかわり、鑑賞者がそのリスクを請け負うかどうかの判断ができる状況にするのならば。チンポムの例がそうであろう。無慈悲な偶然性を引き受ける覚悟。  たとえば2016年に模型展示で起こった火災死傷事件の問題は主催や作者が当のリスクを自覚、認識できていなかったことだ。単にリスクは最大限技術によって軽減しなければいけないという議論や批判”だけ”では何も解決しない。リスク軽減のための技術はもちろん必要であるが、展示リスクの問題を倫理的に考えたいのならば、リスクを自覚し、それとどのように付き合うのか、作家や鑑賞者がその都度検討するべきだと思う。ロープ作品の件もそこが主眼になる。  そしてこの議論は過去現在未来における自分自身の強い自戒でもある。 

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  • 25才最後の夜に

    「コロナはいつまで続くのだろう。」 わたしの周りではもうそういう言葉を誰も言わなくなった。感染状況うんぬんではなく、きっとこれは人の意識の問題だ。 緊急事態宣言したり、やめたり、またしたり、やめたり。蔓延防止措置をしたり、やめたり、またしたり、やめたり。こうした反復によって皆、質的な持続が緩やかに抑圧されることに慣れる。惰性の消耗戦。皆、コロナに慣れて生活が戻る前に、緊急事態に慣れてしまうんじゃないか。私の体も、緊急事態の社会そのものになった。なんて空疎な形なんだろう。  今、ロシア軍がウクライナの首都キエフを侵略している。21世紀に戦争だなんて。戦争を忘れてはいけないってずっと教えられてきたけれど、戦争は今、歴史から出来事になった。 人々から明日を奪い、現在へ磔にする明滅、ウクライナのリアルタイム配信では「もっと激しくならんかな」というコメントで溢れている。憂鬱になりながら、でもそれが多様性なんだと言うことを突きつけられる。多様性は分断そのものだとアベプラの学者は言っていた。わたしはその人が嫌いだけれど、まったくそうだなと思う。普段多様性多様性と掲げる人たちは#NO WARを掲げて一つになり、ツイッターでは何が事実で何がデマかわからない情報が右下から上に流れていく。残酷なまでに唯物論となった人の映像。概念となった英霊。イメージと情報処理が固く手を結ぶ。ポストトゥルースなんてよくう言うよ。 匿名と実存が清濁合わせ飲むこの場所ではみんな同じになることを心へと要請する。ここは宣言であり、同時にどうでもいいことの細やかな断片でもある。デモクラシーな暮らし、それでも日常は続いていくし、1時間後にはきっとどこかで誰かと笑ったり怒ったりしている。いやらしいほどの日常を突きつけられるわたしたちはそれを投げ出す勇気はないし、その必要もないはずだ。 ポジティブに分断を引き受けるために制作をしているはずだった。分断と手を結びたいと思った。そのためにせかいやからだを無数の現在に開いているつもりだったのに。いつだって複雑になる準備はできていた。 あっという間に明日は亡くなった。現在に縛りつけるための準備。その形はぐちゃぐちゃになって、新しく作られるだろうその形は全く新しくもなんともない。今、環境は開かれてしまった、いや、こじ開けられてしまった。ここでの切断は、身体をただの制度や機械にしてしまう。もう、秩序も混沌も語ることはできなくなった。 加速主義者が見た夢はこんなものだったのか?昨日と一昨日が区別できない。行動は、運動は、速さは、もっと変化のために。明日を忘れたわたしは自由であることも忘れてしまっているんだろうか。 ルルーシュはそれでも俺は明日が欲しいと言った。明日は今よりもっと良くなると、彼は信じていた。だけれど、明日がよくなるかなんてわからない。何が良くて何が悪いかなんて、個人の質にかかっている。だからこそ、大事なのは、ただ、明日を迎えようとすると言うことだ。切断や分断は、わたしたちが質を取り戻すためにある。墓を建てるには早すぎる。彼ら彼女らがそうならないように、命が擦り切れてしまわないように、代わりに墓を建て続けようとするのが制作であるはずだ。めいいっぱいの深呼吸を。  自分が年齢を重ねていくことについて、なんで昔はあんなに喜べたんだろう。数字に+1をすることがこんなにも自分の体だったなんて。そのときは確かにわたしは明日になっていて、その数字には手触りがあった。いや、今もそれはあるはずなんだけれど。 外の気温は−2度。バイト終わりの車で窓を開ける。今日はありえないくらいの人が来て、心ない罵倒やクレームを一身に引き受ける日だった。FMのニュースでは蔓延防止措置の延長についての情報が流れている。わたしからどんどん熱が抜けていって、それがとても心地よい。めいいっぱいの今日を吸い込んでふと液晶に目をやる。「あ、もう24時すぎてるやん。」 

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  • 粘土

     自分がやっていることは本当にどうしようも無いことなんだという気持ちと、何かに取り憑かれたように突き動かされる欲望が同時に押し寄せる生活。でも欲望だけで続けていくのはとても大変なわけで、私は思考し続けることと運動することを結び合わせることでなんとか欲望を駆動しつづけられている。世界を良くしたい、社会に貢献したいとは全然思えない(そういう理由で欲望を駆動し続けられる人は凄い)。でも自身が社会的存在であることには興味があるし、自覚的でありたい。どう生きられて、どう生きられないのか。そういった感覚を掴むために、日々ゴミを量産し、それに対して「わたし」やら「文脈」やら「思想」やらをこねくり回しながら立て札=身体として高らかに、かつ情けなく掲げ続けるのです。

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  • 物質は保存する

     なぜ「もの」を作ってしまうのか。これは私にとってものすごく大きな問いであり、私が美術というフレームで活動する上での立場を考えるものでもある。今、特に革新めいた答えはないけれど、思考のスケッチはいくつかある。その中でも最近は本について考えていて、というのは、博士課程になってから小説以外の本を読む時間が爆増したこともあり、所持する本が自身の生活空間を圧迫し出したことによってKindleを導入し始めたことが事の端緒となっている。私はずっと紙媒体の本が好きで、電子媒体の本が受け付けられなかった。けれど、特になぜ紙媒体が好きかという明確な理由はないまま、失礼ながらいざ読んでみてまああまり読み返さないかな、という本が増えていったり、読んでみたいけど今やってる事に直結するわけではないし、お金がない上にに部屋を圧迫するのもちょっとな、という理由で手を出していなかった本が多かったたりする中で、Kindleなら場所を取らないし、価格も抑えめだからいいやん、といった具合で上記のような本を読むために使ってみることにした。そしたらね、もう便利ったらありゃしないの。ページにマーキングしてすぐそのページに飛べたり、線を引いたりメモをしたりできるし、その書き込みを簡単に消すこともできる。それはただ消すというような可塑性ではなくて、描いたことをなかったことにできるというものだ。本の中で時間や空間さえも自由に切断できる。  ただ、その便利さを痛感するのと比例して、自身の電子媒体に対するモヤモヤがクリアになっていくのも感じた。それはなぜか、クリアになった結果何が見えたのか。  それは紙媒体が保存するものは感覚なのだということだ。電子媒体で本を読むとき、それはパソコンかiPadかiPhoneかという差はあれど、全ての書籍がAppleやSONYといった会社の規格及び透過光に縮約される。一方紙媒体の場合、A4やB5といった規格はあるものの、それが手に触れられることを前提として、紙の質、インク、一ページに収める文字数や行間に至るまで様々な規格を組み合わせることによって、その本固有の身体を獲得するのではないだろうか。それは、文章を記号的な意味として伝達するにとどまらない手触りや文字が意味を持つ手前の配置による感覚的な経験や出来事それ自体を物質として保存している。言葉が、意味が、本それ自体として身体を獲得し、読むという行為で私と本の身体が跨ぎ合い、感覚を発露させ、それが経験として知覚される。こうした肉薄する関係を好んでいたのだと、Kindleを通してクリアになった。 

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  • 書くと描く

     最近まで人間の度を逸した忙しさに追われていたけれど、今はやっと人間レベルでの「かなり忙しい」に戻ってこられた。 再来週は最期の研究発表がある。正直言ってかなりやばい。どうして皆体系的に文章をかけるのか。もうずっと頭も言葉も散乱したままで、そろそろ自分に適した脳内本棚をDIYしてあげないといけない時期なのだけれど…わからない。でも、結局それはまだ自分が書き方をしらない、技術をしらない、積み重ねがたりない、端的に言うと、まだまだ未熟だと言う事だ。それをこんな言い訳じみた日記にすることで逃避しているに過ぎない。それでも、日記でも何でもいいから何かを紡がなければ、という衝動によってなんとか自分を安心させようとしている。不健康な駆動の仕方でも、なにもしないよりましだろうという事にして…  もう一つ、久しぶりに油絵具を触った。油絵具の可塑性は凄いことに改めて気付く。粘り気がありながら発散する粒子は遅くもあり、速くもある。摩擦、抵抗、横滑り。その全てが筆と手、キャンバスを貫きながら変形を直に感覚し、ギリギリのところでかたちを留める。なるほど、キャンバスは非常に良くできた支持体で、力のいれ具合や絵の具の変形に程よく順応しつつも、邪魔のない範囲で抵抗する。最近は水や粒子、環境の影響をダイレクトに受ける紙をずっと使っていたけれど、やはりキャンバスの気持ちよさも思い出される。とはいえ、西洋仕込みの平面性に純化したこのフレームに対して今素直に受け入れられない自分もいる訳で、ことはそう単純ではないのだ。

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  • 墓を洗う

     新年は毎年祖父母の墓参りに行く。大学二年生からやから、もう7年目か。毎回、バケツに入れた水を柄杓で掬って4回5回くらいか墓石にツルツルとかけていくわけやけど、これはお墓を清めるとか、そんな何かしらの意味合いがあるんやろなと思いながら、とはいえあんまなんも考えずにいつもその行為を繰り返していた。ただ今回は鳥のフンとかお線香の炭なんかがこびりついていて、汚れを落としてあげへんとな、なんて思ったけど、その時この墓石は祖父母そのものなんかな、それとも祖父母の「身体」を墓石に投影してるんかな。どうなんやろ。  墓というモニュメントはある種の複雑な抵抗のようだ。環境に埋没しないように掲げられた立札。生い茂る雑草や雨風での汚れによって混ざり合うことなく、その存在を際立たせるように。きっとそれは祖父母の身体であり、同時に祖父母の身体ではないのだろう。墓石は観念の物質化ともいえる。私は墓石という物質的身体そのものを洗い流すことで、実体を持たない祖父母の観念を持続可能なものとする。それは墓石という存在自体が祖父母を表象しているという前提のもとである。一方で、墓石は祖父母の非物質的な身体を私たちの主体的な知覚から切り離す。ただそれも、人生という現象を留めようという現世(わたしたち)の主体的欲望によって駆動しているのだろうが。なんだか定義の広い言葉しか使えない。私はまだこの矛盾する身体/非身体としての墓石を掴みきれずにいる。  また、わたしたちは墓石を前にして、目を瞑り、手を合わせる。そこで「僕は元気です。」とか、「今年もきたよ。」とか、具体的な言葉を思い浮かべてみたりもできるけれど、なんだかそこに本質はないように思われてならない私は、ただなんとなく目をつむり、なんとなく手を合わせる。それは別にやる気がないとかそういうわけではなく、むしろ知覚しえないものに対する向き合い方のプラクティスであり、感覚し得ないものを感覚する。そんな直感/直観のパフォーマンスなのだと思う。目を瞑るのは知覚しえるものの遮断、切断であり、手を合わせるのは自身の身体感覚を自分自身の直感/直観対して差し出すことだ。ただし、そこでは墓石は祈りの口実としてのみ役割を演じ、その身体/非身体としての物質的な実在は徹底的に置き去りにされている。  この霊園は高地にあって、宇治の町を一望できる。一通り終えて墓石からさりながら眺めた街は、一望できるにもかかわらず、見える建物や樹木は、本当にそこにあるんかってくらい物質性が解離していて、私はこの街のことがわからんくなった。

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  • ローカル

     当たり前だけど、東京では沢山の展覧会が行われている。関東に住んでいればインスタントに見て回れるのだろうけれど、いわゆる地方に住んでいる人、例えば私の住む石川県では関東に行くだけで往復2万円(最安値の夜行バスに乗ったとしても5,6千円)かかるわけで、貧乏である身としては己の命を削る行為だ。いくつかの、あるいはたった一つの展覧会を見る目的のために1万円以上のお金と丸一日の時間を懸ける。だから鑑賞にも気持ちが入り、どんな展示でもめちゃくちゃ緊張感が出る。みんな丁寧に鑑賞すべきだ、と強く啓蒙する気はないけれど、ここ数年こうした移動と鑑賞を繰り返すうちにそういう癖がついてしまった(一方で丁寧に見ることに従事することの危険さもあると思う)。  結局何が言いたかったかというと、昨日、後輩の展示の作品画像をツイッターにあげたら結構な数のいいねがついて、それはとても嬉しいのだけれど、結局、それはインスタントな確認作業と変わらない訳で、ちょっとモヤっともしてしまうというか…いいねっと思ったらその勢いでこっちに来てみろよ!と少し思ってしまう。いや、SNSなんてそんなもんかもしれないし、こんなマウンティングみたいなこと言うのはよくないよな。うーん、そうなんだけど…やっぱりこんなふうに思ってしまうのは事実だな。ただ、そんな大規模な展示ではないかもしれないけれど、溢れる情報メディアツールの波でふと指を止めてボタンを押したその先に、少し身体を削って訪れてみてほしい。たった一つの展覧会のために体と心を向ける。その緊張感の中で鑑賞する。そんなことが自分の身の回りで起きている面白い事にもっと起こったらいいのに、とそんな自分勝手でわがままな思いなのです。 自分も最近は注目されている大型の展示を見るためにしか遠征しなくなってきているから、もう少しふと気になったものに対して突発的に体を運ぼうと思う。

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  • 交通、仮止め、薄い生活

     8月は沢山展覧会を観た。観ては色々考えるのだけれど、すぐに忘れてしまう。失礼なことだ。だから、忘れないうちに、忘れてもいいように、ひっそりと記述しておこうとおもう。きっとそれが備忘録というやつなのだ。 8月19日 愛知に行って、堀さんの個展を観た。新作の〈根や茎〉という作品に魅入ってしまって、正直他の作品を冷静に観られたか分からないのだけれど、この作品を観れただけでもう愛知にきてよかったと思った。〈根と茎〉では複数の技術(例えば線の方法のバリエーション)が複数的なまま「同時」に張り付いている。そこに統合へと向かう奥行き(perspective)は存在しないし、図と地の二項対立的な反転もない。むしろ、絶えず図であり続け、同時に絶えず地であり続けるような状態に近い。ある線が領域を縁取ろうとするとき、また別の線によってその領域は切断され、変容する。線は縁取る境界でありながら、縁取られる境界でもある。そんな秩序を形成しながら絶えず破綻していく、そのギリギリのやり取りの中で作者が筆を止めてやりとりを終えてしまう、その決定に思いを馳せる。 痕跡と運動を両立させることの困難。今回観た堀さんの作品は、線の痕跡から運動を知覚させるのではなく、さまざまな技術によって入り組んだ複数の領域を交通(transport)するような感覚というか、そういう動き方があるんじゃないかと思った。追認ではなく、往来。まだあまり自分でも掴めていないけれど。 8月25日 なおぴー(高橋直宏)さんの個展を観た。ロープと木彫。めちゃくちゃ面白かった。ロープとかブルーシートとか、そう言った道具たちはあるものを「仮止め」するものであって、本決定するものではない。ロープはあるものを動かないように、あるいは複数のものがバラバラになって霧散しないように繋ぎ止めるものだ。それはひとつのふるまいであるのだけれど、ロープを解けばひとたび繋ぎ止められたものたちや、繋ぎ止めることであらわれる表象、あるいは表層までもが崩れ去る。仮止めはあくまで仮のものであり、未来を保証してくれるわけではない。一方でそれは決定を保留しているわけではないだろう。仮止めは、未来は別の形や別の仕方であることを予感させる脆さを含みながら、絶えず現在のふるまいとしていま、ここにはりついている。未決定を振る舞うこと、それをどう肯定するかという思索が物質として、構造を剥き出しにしたまま「立ち」(あるいは吊り、寝そべ、立てかけ)表せる技術。 また、吊られたり、倒れるように寝かせられた彫刻はサスペンスを想起させるのだけれど、それは首吊りのようなイメージが先立つのではなく、吊られている、寝かせておかれている、といった残酷なまでに物質的な側面からイメージが立ち上がることを見せつけられているようで、おもわず、彫刻的だ、と呟いてしまう( 彫刻をやっている人達からしたら見当違いかもしれない)。あと、ふるまい、ということを考えると、彫刻がどのように振る舞うかによって形を決定しなければならないと同時に、形態に合わせて振る舞いが決定されるんだなとあらためて気づく(立たせるためにどれくらいの面積が必要で、底は平らにしないといけないとかそういった物質的なリアル)。 8月23日 ストレンジャーによろしく。意を決して廻りはじめることにした。梅の湯。廃業した温泉の休憩室で扇風機がぬるい風を吸っては吐き出しを繰り返している。妙に座り心地の良さげなソファには先約があったので、すぐ横の白いテーブルに腰掛け、テーブルの冷ややかな感触をおしりに感じながら、床に置かれたモニターを眺める。モニターには、足立がまさに今ここにあるブラウン管を叩く映像が断片的に映し出されている。 足立のコンセプトとか意図とかは分からないからさておき、ずっとブラウン管を叩き続ける行為は昔おばあちゃんとかが叩いてテレビを治す、みたいな行為にみえて、それが安直に廃業した空間の再生、みたいなことへと直結してしまいそうになるんだけど、映像よりも絶妙に長い何も映らぬ間によって、身体がそわそわするというか。そのソワソワからか、つい辺りを見回してしまって、部屋の空間をみることに集中しだす、かと思えばそのピークギリギリでまた映像が映る。このよくわからぬモヤモヤしたやりとりを繰り返していると、映像では映っていない深夜特急の本が立てかけられている事にふと気づく。その瞬間、稼働する扇風機や造花、マッサージチェア、置かれている空間のあらゆるモノに生活する身体が息づくというか。たった一つのその契機で空間が生々しいものに変化する。死んでいるのに生きている、その瀬戸際に包まれるようなギリギリの「薄い生活」を知覚したような。 9月29日 勤め先で11月に個展をしてもらうアーティストと改めてこの作品をみる。 こうした小さなことを小さいまま出すことができることにグッときますよね。という話を共有できたのがよかった。

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  • 心地の悪い部屋

     物語を作れるということはそれだけで素晴らしいことだ。最近はどうなのかわからないけど、少なくとも私が大学1、2年生の頃は「あなたの感情に興味はない。」とか、「自己満足だよ。」などという批判はよくなされていた。しかしそれは全然批判になってないよな。まあ他人の感情や感覚に興味がないのはそりゃわかるけど、自分の興味の範囲か否かを何かしらの”絶対的”な価値基準にすり替えるのはどうなんだろう(自分の興味で価値を判断する事自体は否定しない)。自己満足というのも、いや全然満足してないでしょ。自己完結してるっていうならわかるけど、完結できてるだけ凄くない?私は完結すらできないのだが。自分のリアリズムが物語になるだけでも、それはもう大きな大きな一歩であって、問題はその物語の輪を、どのように開いていくかだ。ただし、開き過ぎる事でその形を失うこともある(それはそれで良いのかもしれない)。輪を描きながら、どのようにしてそこに隙間をつくるか。言い換えれば、個人的な実存をどのように環境(社会)へ接続するか(あるいは社会を、個人を切断するか)という事だ。住居。家について。自分の家から飛び出て、友人を招き、たまには壁紙を張り替える。また我々は引っ越すことも出来る。なんなら閉じて引きこもっても良い。ただし、その部屋には出来るだけ窓をつける事。  いや、窓じゃなくてもいい。自分に合った回路を。閉じることを捻じ曲げる必要は無い。それを見つけたり、整えたりする事が技術というものの一つだ。その技術への回路をできるだけ多く掘り起こし、また選択肢を選べるように整えるのが教育ではないか。教育者が「自己満足」という批判を使ったら終わりだろ。それをいうならその先の技術の話までいかなければ。その家の中はきっと心地の良い部屋ではないだろうが。

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  • 足音が消えるとき

     今日は勤め先の経費で京都へ初めての出張。自分が「出張」を体験する世界線なんて真ったく考えられなかったな。  展示のための打ち合わせを終えた後ピピロッティ・リスト展を最終日滑り込みで観る。3階の新-近作群はインタラクティブな方法論(音響やクッション、ベッド、あるいはプロジェクション、映像は見られることを初めから要請しているようだ)とオブジェ、映像自体の快楽が軽やかに接合されていた。そしてセクシャルなメタファーとして立ち上がるイメージは双方の接合に裏打ちされている。技術だ。あっぱれする。一方で、1、2階でスクリーニングされていた90年代のシングルチャンネルビデオの方が新作インスタレーション群よりも感覚を媒介として身体を揺らしてきた。それはインタラクティブな技術とは別の回路でのやり取りだと思う。だからと言って新作群より旧作の方がよい!と言いたいわけではない。なぜなら、新作はこの90年代の映像を経た上で時代とともにたどり着いたものとしての充実度をやはり体験として備えていると感じられたからだ。  しかし、それらを差し置き、本展覧会で一番グッときたのは三階の展示会場で靴を脱がされたことだった。袋を渡され、靴をそこに入れた状態で鑑賞される、会場には絨毯が敷かれているが、所々、会場の導線の床が剥き出しになっている。普段は土足で入ることを想定された床が徹底的に清掃され、それを裸足(今日はサンダルを履いていたため、靴下を履いていない)で踏み締める。そこで感じられる冷気の感触は、妙な背徳感と空間の物質性が感覚される。そう、それは触覚のエロスだ。絨毯の柔らかさとコンクリートの冷気を交互に踏み締めるリズムは、空間の服と皮膚を撫で回す感覚に近い。(前戯)。また、映像インスタレーションに用いられる音響は全体的に小さい音量設定であったにもかかわらず、非常に繊細な音が知覚される。まさにクッションに座ったり、ベッドで寝そべることを必然とするような、滞留することへの自然な手つきがそこにある。故に、人が密集していたけれど、それがあまり気にならなかった。などと考えていたとき不意に気づく。そうこの空間では「足音が全くしない」のだ。それは至ってシンプルなことであって、それは皆靴を脱いでいるからだ。繊細な音の知覚も、クッションに誘われて映像と音ににじり寄り続けることも、音量設計に起因するのではなく、音量設計も含めて、この「足音の消失」によるものだったのではないか、とわたしには思われてならない(もちろんそれを想定して設計されたのかはわからない)。それは、展示設計におけるインタラクティブな方法論として考えられるが、むしろ、数々の他者との非同期的な関係から脱臼し、作品-空間-身体が振動と融和を引き起こす同期体験の方法論としてある。と、勝手にそう位置付けてしまう。足音という身体の双方向性の消失は、翻って身体の内側からあらゆる外的な音を、皮膚を、網膜を、そして他ならぬ来訪者たちを直に撫で回すのだろう。

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  • 椎名林檎の身体と声

     東京事変がついにニューアルバムをリリースした。約10年ぶり。題名は「音楽(ミュージック)」。発売初日の6月9日(ロックの日)にフォーラスのタワーレコードへ直行する。早速帰りの車で流したのだけれど、もういろいろな感情がない混ぜになってしまって、未だ感想を言葉にできないでいる。(別に言語化する必要はないのかもしれない。)  そういえば、日曜日に関ジャニ∞の冠番組で東京事変の特集がやっていた。わたしが借りている一軒家は風呂もネットもテレビの通信受信機さえ無い家賃3万円のボロ家で、かといって「今から東京事変特集やってるから家行って良い?」と軽率に頼み込める友人達はもう大学をとっくに卒業し、この土地にいなくなってしまっているわけで。もう見ることは半ば諦めていたのだけれど、Twitterでこのことを嘆いていたら、妹が「Tverで見逃し配信やってるよ。」と教えてくれたたり、後輩が録画していることを教えてくれたりしたので、違法アップロード待ちという到底許されぬ愚か極まりないことを考えずに済んだ。マジLoveやわ。  アルバム発売に合わせてメディアに露出するこの感じは、改めて再結成してJ-popバンドとして活動していることを思わせてくれる(わたしが東京事変をちゃんと認知したのは解散直後の2013年)。番組の内容は東京事変メンバーがメンバーのそっくりさん(親戚)という設定でゲストを交えて談義するというもので、いかにも椎名林檎的エンタメの延長だなと感じるが、この「いかにもさ」はこの設定を椎名林檎が考案したのか、番組プロデューサーが提案したのかを宙吊りにしている。椎名林檎は、ありとあらゆるライブ以外のメディア出演及びインタビューの際、エンタメ的、あるいはショー的身体を前景化させた上で、自身の音楽的身体、または音楽的言語を表現するのだけれど、それは清く正しいJ-popの態度だ。この清く正しい態度を今でも貫き続けるのは凄いんじゃ無いか。その徹底した身体的態度が、今回の「露悪的」な設定がただ「露悪的」にならないような何かとなっているように感じる。うまくいえない…自分で何言ってるかわからんくなってきた。ようは、実存として自身の音楽的身体(あるいは運動する身体と言い換えても良いかもしれない)と美的身体とを直接結び合わせるのではなくて、popsや歌謡のようにある物語を作り上げ、その物語の一人称を自分に憑依させつつも、同時に歌い手自身がもはやその一人称へと生成変化してしまっているような、そんな憑依-演劇の二重性を前提として自身の音楽的身体、美的身体を表現しているという、そのパフォーマティブな態度が至る所にまで徹底されていることにグッとくる、そういう話。J-popが身体を通してパフォーマティブに徹底される。「それ以上でもそれ以下でも無い」凄み。(椎名林檎以外のメンバーはそれに対して全然やる気がない。)  話を内容に戻さないと。永遠に脱線し続けられるな。放送の内容では関ジャニ∞の丸山さんが指摘する点が興味深かった。それは「金魚の箱」という曲においてAメロでは可愛い女の子の声、Bメロでは大人の女性の声、サビではその2人が合わさった声である。というもの。聞いてみると「確かに!」と思う。もちろん音程の差によるところもあるのだろうけれど、その一連に対しての椎名林檎の返答がまた興味深い。椎名林檎はさだまさしの「精霊流し」の声色が自身の演奏するバイオリンに依拠していることを指摘する。そして、椎名林檎の声色も、さだまさしのようにそれぞれ演奏される楽器の隙間に入れるように意識しているらしく、例えばギターがバッキングを鳴らせばシャウトまじりの声色を選ぶなど、楽器に対するフィードバックとして声色がある。ただ歌声が中心で、楽器はそれに帰属するというわけではなく、声自体も一つの楽器として意識されているという点はなるほどという感じ。声は主体化されるだけでなく、それ自体が絶えずアレンジメントされるのだ。わたしは音楽の知識は乏しいので、そんなの当たり前なのかもしれないし、当然椎名林檎に特権化して言えることでもないと思う。それでも、圧倒的な技術と文脈によって形成される椎名林の数多の声色が、理性的にではなく、スポーティーに反射神経で行われているというのは感動的だ。楽器と声が絶えず互いに衝突し合い、同期したり、別の展開へとズレていったり、そういう持続的な運動のやりとりがせめぎ合う時空はまさにグルーヴであり、バンドである。そう、東京事変は徹底してバンドでありながら、同じ強度でエンタメ的な憑依-演劇の身体を使いこなす。前者は浮雲、伊澤一葉、刄田綴色、浮雲によるところが大きく、後者は椎名林檎によるところが大きい。それは椎名林檎の声色と楽器の関係も大いに関わっているだろう。と、わたしの主観ではそう考えている。うーん、この話は書くと永遠に長くなってしまうから、またいつかちゃんと言葉にできる機会をずっと伺っているのだけれど、それはいつになるのか…見せられるような文章でもないしなあ。  そういえば、名古屋在住アーティストの林さんに教えてもらったんだけれど、DIR EN GREYの京は自身のパートのクレジットを「vocal」ではなく「voice」にしているらしい。聞いたときは本当に感嘆した。それは椎名林檎と一緒とまで言う確信はないけれど、声を楽器として扱う態度に似てるんじゃないかなと思う。そして曲で展開される京の声は音程、声色、速度、その全てが何通りも展開されていて、もはやそれぞれの声に関係性や連続性が見出せない。声は常に断続され続けている。それは決してただの契機的な連続ではない。にもかかわらずそれが一つの曲として展開されてしまうのはなぜか。これは全部林さんが教えてくれたことを書いているのだけれど、実際に聴いて確かにその通りに感覚されるのから、もう本当に凄い。他のヴィジュアル系はクリーンボイスとシャウト(あるいはデスボイス)という二つの声を二項対立的に扱うことで、歌の物語性を構築しているらしい。しかし京の声色は単純な二項対立や物語の展開として聴くことはほぼ不可能で、それはある秩序だった物語に対して声を当てはめるのではなく、それぞれの声色が別の身体として次々と移行するアレンジメントのプロセスそれ自体をパフォーマンスしているのではないかと思える。それは既存の狂気とは全くかけ離れた狂気の実践だ。と、そんなにわたしはDIR EN GREYに明るくないので、これ以上うかつなことは言わないでおこう…。とにかく、椎名林檎の声色の話からふと思い出した。  いやー、本当は参加する展覧会が後5日と迫っていて、ブログを書いている暇なんてないのだけれど、マジで、現実逃避する時に限ってそこへめちゃくちゃエネルギーを発揮できるよね。それ、目の前の制作にぶつけろって話やな、全く。辛い。

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  • 頭痛と痙攣 「壊れる」こと

     激務で久しぶりに体を壊した。高熱、手足の痙攣、体は熱いのに寒気がする。頭痛。中枢が揺らぎ、意思とは裏腹に筋肉は収縮と弛緩を繰り返す。今はフリックで文字をちゃんと打てるくらいには回復した。社会の規定する身体としては機能しないリズム。体を壊すという表現は言い得て妙で、この、「壊す」に対応する主語は、秩序を前提とした社会の規定する身体だと思う。めちゃくちゃしんどいが、それを受け入れざるを得ない。ただただ、潔くしんどい。  そういえば、マリーナアブラモヴィッチの初期パフォーマンス、『Rhythm 2』という作品があって、それの第一部の内容は緊張症の患者に投薬される薬を服用するというもの。その薬の作用によってアブラモヴィッチの体は自身の意識制御を無視して激しく痙攣する。脳が中枢的に判断するにも関わらず、筋収縮のリズムは自立分散的に持続してしまう。そうした身体の両義性。  頭痛と痙攣は、中枢と自立分散の激しい対立/衝突に対応する。などとぼんやり考えることと、キーボードを叩くこととが緩やかに一致し始める。

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