心地の悪い部屋

 物語を作れるということはそれだけで素晴らしいことだ。最近はどうなのかわからないけど、少なくとも私が大学1、2年生の頃は「あなたの感情に興味はない。」とか、「自己満足だよ。」などという批判はよくなされていた。しかしそれは全然批判になってないよな。まあ他人の感情や感覚に興味がないのはそりゃわかるけど、自分の興味の範囲か否かを何かしらの”絶対的”な価値基準にすり替えるのはどうなんだろう(自分の興味で価値を判断する事自体は否定しない)。自己満足というのも、いや全然満足してないでしょ。自己完結してるっていうならわかるけど、完結できてるだけ凄くない?私は完結すらできないのだが。自分のリアリズムが物語になるだけでも、それはもう大きな大きな一歩であって、問題はその物語の輪を、どのように開いていくかだ。ただし、開き過ぎる事でその形を失うこともある(それはそれで良いのかもしれない)。輪を描きながら、どのようにしてそこに隙間をつくるか。言い換えれば、個人的な実存をどのように環境(社会)へ接続するか(あるいは社会を、個人を切断するか)という事だ。住居。家について。自分の家から飛び出て、友人を招き、たまには壁紙を張り替える。また我々は引っ越すことも出来る。なんなら閉じて引きこもっても良い。ただし、その部屋には出来るだけ窓をつける事。

 いや、窓じゃなくてもいい。自分に合った回路を。閉じることを捻じ曲げる必要は無い。それを見つけたり、整えたりする事が技術というものの一つだ。その技術への回路をできるだけ多く掘り起こし、また選択肢を選べるように整えるのが教育ではないか。教育者が「自己満足」という批判を使ったら終わりだろ。それをいうならその先の技術の話までいかなければ。その家の中はきっと心地の良い部屋ではないだろうが。

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