2022年なんか振り返っちゃったりして

 2022年もあと数時間で終わる。そう、終わるというのに、私は今、大学の満期論文執筆、そして職場の契約書類一式の作成に追われている。きっと年越ししたらすぐに来年の仕事が降りかかってくるだろうし、満期論文の執筆も続けなければならない。なんてことだ。去年の今頃はどうしていただろう、と思い返すと去年は去年で1月7日から始まる名古屋での展示の為、作品制作や事務作業に追われていたことを思い出す。年越しの12月31日の夜から1月1日の夜まで実家に帰省して、それからの三が日は必死で自分の作品を制作し、4日には搬入のために一人で雪道の中ハイエースを爆走させていたのだ。しかも搬入は三日間使う予定なのに、ハイエースを借りれたのは1日だけだったから、1日目の搬入が終わった夜にそのまま金沢へ蜻蛉返りして、三時間だけ仮眠したのちにまた自分の車で名古屋まで行ったのだった。しかも、その日は岐阜方面の雪が凄く、高速道路も下道も通行止めラッシュだったから、道程の半ばで石川まで引き返し、福井の雪がマシな道から大きく遠回りしてなんとか名古屋にたどり着いたという経緯がある。そんな満身創痍の中で着いた途端に搬入作業。しかもその搬入で映像の同期が上手くいかないという大トラブルが発生。結果的にはなんとかなったけれど、その日の夜のホテルでは辛すぎて、カップヌードルチーズカレー味をすすりながら泣いたことを覚えている。 かくして、今年のスタートダッシュが切られたというわけである。ちなみに、この時は職場で『何かを忘れているような気がする。』という展覧会がほぼ同時で開催予定であり、その準備にも同時並行で追われていたのだった。さらには、博士論文の提出も一年を切っていたわけだけれど、この時点では、まだ出すかどうかさえ決まっていない。

 2月はほとんど記憶がない。職場の企画は順調に進み、そのおかげで自分の制作に最も集中できた月だったと思う。この時の日記を見返してみると、油絵具を触ることにえらく感動していたり、自分はゴミしか作れないなどとほざいていたり、論文のためのの文章が全く書けないと嘆いていたり、かなり情緒不安定だったな。4月〜7月は職場でなぜか2000人規模のイベントを主催し、二組のミュージシャンと仕事をした。このイベント運営を経て、エンターテイメントとしてのイベントがどのようなプロセスを経て作られているのかを実感する。それ以降はテレビや何かしらのイベントを観ていると、それがどのような予算で、どんな契約でやってるんだろうという裏側がしきりに気になるようになった。そして、5月は今年博士論文を出す決意をして、ようやく本文の執筆に着手し始めたタイミングでもある。4月時点では、在学延長して4年目に突入する気満々だったから、これは自分の中では一大決心だった。なんで決心できたのだろうかと思い返してみれば、それはどうせ4年目に突入したとしても、もっと調べなきゃいけないと思うことが続々と登場し、結局また延長したいと思ってしまうだろうなという予感を感じ取ったからだと思う。現状でのベストを尽くすためには、最大限ポジティブな「諦め」が必要だという確信。とはいえ、論文の後半にあたる芸術論は何を書くかほとんどまとまっていなかったし、一章を書くのに苦戦して、一章だけで二ヶ月をかけてしまった。そうこうしてるうちに7月からは9月に控えている東京での個展のため、制作に集中しなきゃいけなかったから、結局9月までにかけたのは一章と二章の途中までの計2万字程だった。やばい。まじで書き切れるのかって感じ。とはいえ個展は迫るし、東京では初だし、ってな感じでもう身体はぐちゃぐちゃ状態。東京の個展はもう走り抜けた、走り抜けたが故に全然実感がないという具合。とはいえ、自分の中での大切な人たちに見てもらえたことは嬉しかったな。そんで、個展のステートメントに書いたことが、結果的に論文の最終章の中核になったし、なんだかんだ、わからないなりに全力でやってると繋がっていく物だなとも思う。しかし、個展の感慨に浸るまもなく、搬出の次の日には論文の予備審査に突入。予備審査は、博士論文を書き切れるかどうかを審査するもので、この時点で論文が7割進んでいることが前提であった。とはいえ、手元の成果は最大限ポジティブに見積もっても2割進んでいるというのが限界な本論のみ。しかも論文全体の要旨を書かないといけないという悪夢。そんな時間がどこにあるというのだ。もう身体は限界だ、という具合。とはいえ、そんな極限状態で論文全体の道筋を確定していかないといけないという条件が、後半の芸術論の道筋を決める後押しをしてくれた。予備審査では7割進んでいるという虚言を吐きながら、ここからギアを数段あげなければいけないと背筋が伸びる。だけど、9月、10月は職場で私がメイン企画の展覧会とイベントが開催される上、その規模もデカい。毎日のように仕事に追われる中での執筆で、もう肉体も精神もぶっ壊れそうだった。いやむしろ、もう本当に、精神崩壊のその先までひっくり返ってた気がする。こんなんで完成させるの不可能だろ、と思いながら毎日、家で嗚咽していた。朝から夕方まで仕事して、夕方から深夜4時まで執筆、そこから3時間寝て朝7時から9時まで執筆、そこからまた夕方まで仕事のループ状態が続く。論文は、第3章まで完成したところで指導教官の先生に一度全体を見てもらったのだが、そこでもらったアドバイスがめちゃくちゃクリティカルで、初めて構造的な論文の書き方を理解した。そこからの執筆は、当然、本当にしんどかったけれど、それを上回るくらい楽しくなった。そこから今まで2つくらいしか付いていなかった註が100を超え、執筆のスピードも上がった。4章を書き切った11月初めには、もう完成できる、という確信が生まれていた。ラスト一ヶ月の11月はすべての仕事をほぼ休止して怒涛の執筆漬け。になるかと思いきゃ、大学に交換留学できていた学生と3つのプロジェクトをすることになって、それと同時並行での執筆。しかも打ち合わせはほぼすべて英語。どうなってるんだ、もう。なんか怒涛だったとしか書けないな。とはいえ、同時並行で行っていたイベントはどれも楽しかったというのは付言しておきたい。

 こうした様々を経て、12月2日に博士論文を提出…………..。正直、これを書いている今も提出した実感がない。とはいえこうして一年を振り返ってみると、なぜ書き切れたのか自分でも判らないな。だから、確実に、自分にとっての過去として切断されてはいるんだろう。論文を出してからはトークイベントに出演したり、修了制作点のための作品制作を開始したり、満期論文を執筆したり、ちょうど数日前に終わった職場での展覧会を準備したりと、結局は忙しなく動いている。そして、来年も同じくらい忙しないことが確定しているから、来年どうしようか、などと考えることはしない。というか、できていない。強いていうならば、来年で現在の職場をやめるから、再来年に海外での留学、もしくは年単位のレジデンスに行く為の助成の準備をすることと、制作と発表を淡々と続けていく、ということに注力しようと思っている。

 今年もいろいろな人にお世話になったなあ。今年のイベントの書類、今日までに作りきれなかったなあ。仕事納めとか無理だったなあ。そもそも今、来年の終了制作に向けての制作に邁進しているから、もう年を跨いでいるんだよなあ。まあいろいろ書いたけど来年も金沢でみんなよろしゅう。私を理由にみんな金沢に来るんや!絶対な。ほなまた。 

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