両親は精肉店を営む共働きで月曜が定休日。だから私が小さい頃、いわゆる休日に家族で外出するということが数えるほどだった。それでも毎年欠かさず家族でキャンプに行ったり、正月には旧ジャスコ(現イオン)を回って普段ならあり得ない太っ腹の買い物をして回ったり、私はあまり感情をうまく出すことができなかったが、そんな時間が幸せだった。だから今でも私は金沢フォーラスよりも、京都大丸よりも、郊外にそびえるイオンの方が気持ちを高鳴らせるし、遊園地よりも、何もない場所でビバークしながら読書する時間の方が夢心地を与えてくれる。
私の育った街はスナックが立ち並ぶような場所で、たまにある外食のほとんどは私の両親が肉を下ろしている個人経営の居酒屋や鉄板焼き、スナック店が多く、それが私の日常の光景だった。だから、小学生時代からそういった店に慣れきった私にとって、数えるほどしかなかった大型チェーン店での外食はまるで遊園地のアトラクションに乗るかのような感覚で、特に郊外ロードサイト特有のチェーン店の電飾がギラギラ光ったあの巨大な看板はさながら夢の国の入り口のようだった。
そんな中でも、家族と食べに行った69号線沿いのバーミヤンの、あのチェーン店にもかかわらず絢爛な室内の中、高級中華でしか食べられないようなメニューが並んでいたあの時の煌めきと団欒の時間が今でも大切な思い出で。行ったのはその一回だけだったけれど、それ以降、私にとってバーミヤンはずっと憧憬の場所だった。
2018年、大学院生時代に車を手に入れ、1人で東京都現代美術館へ行ったとき、あの団欒の味を思い出したくてふと近くにあるバーミヤンに入ることにした。当時圧倒的にお金がなかったけれど、少しの出費さえあの憧憬に浸るためのワクワクだった。けれど、店に入ってメニューを見たら、そこには王将などに見られる特有の商品写真と格安セットメニューが並んでいた。
正直、状況が理解できず頭が真っ白になって、訳もわからずメニューの中で一番安いラーメンのセットを頼み、とにかくこの店から早く出たくて必死に料理を掻っ込んだ。店を出てからもずっと思考停止状態で、その後見た美術館の展示も正直全く頭に入らなかった。車に戻った後、真夏で灼熱の車中、エンジンもかけずしばらく放心したのち、やっと、あの憧憬は完全に過去のものになったんだんだと理解して涙が止まらなかった。「行かなきゃよかった、行かなきゃよかった」と頭の中でに唱えながら車内で汗と涙がぐちゃぐちゃになるまでずっと呻いた後、全ての予定をキャンセルして金沢に帰った。
それ以来一度もバーミヤンに入っていない。
まるでバーミヤンに失恋したような
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