2023/7/8-2023/7/29
13:00-18:00
ASTER(Ishikawa)
Installation view▼
会場は全く同じ間取りの二つに仕切られたホワイトキューブであり、一方では全く同じサイズの紙に描かれた数年分のドローイングを等間隔に配置、もう一方ではそのドローイングのサイズや配置に合わせたグリッドシステムを作成し、壁にグリッドのラインを引いた上で、そのグリッドシステムに合わせて全ての絵を配置した。また、そこでは5つのレーザー墨出し機によって絵の規則性に合わせたラインが会場に照射されている。
会期中は川原浩平氏とともに、ギャラリーのオープンからクローズまでの6時間÷会場のすべての作品数=1作品の作品解説時間と設定した前作品解説トークイベントを行なった。
また、金沢駅から会場まで、自身の車でガイドツアーを人数限定で行なった。ツアーの行きでは、川原浩平氏と宮崎によるツアーと全く同じルートを走りながら目に映る風景を見て話す音声が事前収録され、ツアーでは事前の収録音声とできる限り一致する速度で運転しながらそれを車内で流した。
Statement
1
「グリッドシステム」、それはスイスで60年代ごろから定義づけられ、その後、デザインにおいて一般化された理念、およびその方法論である。そしてその普及に最も寄与した1人がヨゼフ・ミューラー=ブロックマンであり、彼はグリッドシステムを「システム化への意思、本当に必要な情報だけを求める意思」そして「色彩と形態、素材を統合しようとする意思」であると定義している。他にも様々な観点が提示されてはいるのだが、上記を鑑みると、それは客観的に全ての情報を統合するその意思自体を、数値化された普遍性へと置き直す試みだと言って差し支えがないように思われる。それは神=意思の如き全体性である。
グリッドはなぜ神の方法論たりえるのか。それはグリッドを構成する水平。垂直線によって現れるモジュールとしてのフレームが、どの位置にあっても等価な価値や次元を保つからである。
2
私は18歳の時に美大を受験し、かれこれ10年、絵を描いている。受験対策では人物の比率を測ってまずはアタリを取っていたし、石膏デッサンではまずディスケールを用いて石膏をグリッドのモジュールに当てはめて描いていた。展覧会をするときは絵を水平に合わせて等間隔に並べることが、良くも悪くもテーゼであったし、キャプションには並べた作品のサイズを必ず記入する。思えば、私の制作は規格づけされたグリッドシステムに無意識化で順応している。描くキャンバスも、F、P、Mといった既に与えられた規格であるし、メモをとる紙も、今この文章を打っているパソコンも、書籍も、建築も、学校の教室も、自分が過ごす部屋の家具の配置さえも、全て、グリッドとフレームによって統合されている。
3
結局、制作を含めた生活の全てが既に規定された全体性の力によって無意識化で統合されてしまっている。言い換えると、生きることは常にデザインされている。こうした状況に嫌気がさすが、でもそれと同時にこのシステムが与えられなければそれはそれで苦痛であることもわかる。私は、絵を描くとき、こうした両義性の中で、風景が作られていく運動自体を取り出そうとしてみたり、同じ規格の紙にひたすらモチーフを星座のような有機的で持って描き出すことを反復してみたりすることによって、目の前のフレームやその連続であるグリッドからそれを退けるのではない方法でそれ以前のかたちや性質を取り出そうと試みてきた。
今回の展示室は二つに分かれているから、片方では2020年から続けている同じ規格の紙で描き続けたドローイング群を、もう片方では様々な年代に描いた様々なタイプの絵をグリッドシステムに則って展示する。今回は作品個別のテーマが展覧会をかたち作る訳ではないけれど、上記のように、こうしたグリッドやフレームの理念、構造自体が、自身の具体的な絵画制作を根本的に触発してはいるので、展示方法において愛すべき極悪なこのシステムを徹底することによって翻って現れてくる表象、そしてそこからはみ出ようとするかたちを見ることができたらいいなと思う。