2022/6/13-2023/6/25
13:00-19:00
donation ¥1,000
IN SITU(Aichi)
Kaori ENDO
Syuhei HAYASHI
Ryusei MIYAZAKI
Installation view▼
Statement
2022年11月、飼っているアフリカツメガエルが死んでいました。前日までは元気だったので驚きましたが、餌を吐き戻した形跡があるので誤嚥から窒息したのだろうと思います。
秋も終わり、屋外の気温は涼しいを通り越して寒いような時期でしたが、室内は空調で常に暖かく保たれていました。必然、死体は既に腐敗が始まっており、ガスで膨らむ腹を上に向けて水に浮かんでいました。私はそれをひとまずビニール袋に入れ、自宅へと持って帰るのですが、次第に袋の中は正体のわからない赤黒い粘液で汚れ、悪臭を放つようになります。その後、夜中に自宅の庭の片隅に手で土を掘り、死体を埋葬しました。
栄養や空気を口から取り込み、体内に循環させ、排泄を行う。この自律性が個体を個体たらしめている条件のひとつだとすると、個体が死ぬということは速やかにその自律性を失い、腐敗し、土壌などのより大きい循環に、単なる物質として開かれていくことだとも言えるでしょう。
そして、ヒトの培ってきた技術の、少なくとも幾分かは、自らや自らの管理するものが、だらしなく世界に回収されるのを拒むことに立脚しています。
それは例えば冷蔵庫から、サイボーグにまで通底する欲望です。
かつて、宗教が担っていた真理=神の座は、錬金術や魔術の時代を経て、近代以降は科学による実証主義に取って代わりましたが、よく言われるように今や科学は証明ではなく、より望ましい生命の形をデザインする方向に舵を切っています。本展は、そのような現在、かつて錬金術がそうであったような過渡期の中で、ある個体が生まれること、あるいは死ぬことやそれに付随する諸技術を考えてみることを目的としています。
(林 修平)