筑波大学の演習授業「大学を開くデザインプロデュース演習」の前期(4〜7月)にかけて行った5つの連続ワークショップ。都市の中でアートプロジェクトを行う授業を行うにあたって、都市と制作との関係を構築し、プロジェクトを行うための練習、あるいは練習と本番を区別しないままプロジェクトを行うための練習である。
【第一回】
散歩/パウルクレーになる(絵を描く)練習
参照文献:『造形思考』パウル・クレー著 筑摩書房
練習概要:まず、私たちは風景や都市、環境をどのように捉えているだろうか。あるいは都市への眼差しと言った時、そこで見えているもの(あるいは見ようとしているもの)はなんだろうか。さらに翻せば、そこで視界から外れているものはなんであろうか。今回のワークでは、まず、私たちが何かを見るというときにどのようなプロセスを経てそれを見ているのかをひたすら解体、再統合しながら散歩をしてみることで、環境と私たちの身体との関わり方を解きほぐすエクササイズを行う。
練習内容:
①宮崎が事前に決めた散歩ルートを歩きながら、宮崎がファシリテーターとなり、風景の見方を順番に解体し、再び再統合するような条件を提示し続ける。参加者はその条件に合わせて風景を「見る」練習を行う(45分)
[進行に合わせた条件のスコア]
1,まずは自由に(自由にと言われると意外とどこを見て良いか難しい)
2,「止まっているもの」を一つ視界に入れる
3,「動いているもの」を一つ視界に入れる
4,「動いているもの」を3つ同時に視界に入れる
5,音を手がかり動いているものを見る(動いているとはそこに運動があり、摩擦があり、摩擦が生じると音が生まれる)
6,動いているものの解釈を広げる(物ともの通しが関係していれば、見た目が静止していても運動が生まれる=リズムの発現)
6,近くのものと遠くのものを交互に見る
7,近くのものと遠くのもののリズムを交互に見る
8,周りに見える人の歩き方や視線、どこに向かうかを想像しながらその人になりきって歩いてみる(そこでは何が視界に入る?)
9,自由に(もう手がかりは充満している)
②パウル・クレーの『造形思考』を手がかりに、宮崎のレクチャーに合わせて「作品」になる手前で点・線・面・グラデーションを扱い、風景を散歩するように絵を描く練習をする。
最終的に今日散歩した出来事を一枚のポストカードサイズの紙に書いて終了。
*詳しい手順は下記の画像を参照。

【第二回】
観察/赤瀬川原平になる(意味を破壊する)練習
参照文献:『路上観察学入門』赤瀬川原平、藤森照信、南伸坊・編 筑摩書房
練習概要:前回の練習(散歩/パウル・クレーになる(絵を描く)練習)では、風景を観察しながら、そこに見えるものや空間のリズムを発見し、それを絵画言語(点、線、面)に置き換えるという行為を行なった。これは、風景を構成するあらゆるものを、「意味」に還元しないで捉える練習であり、見るという行為そのものを解体→再統合するものでもあった。
今回はその「見る」という行為を通してより一層、外と制作との接点を探ってみるため、赤瀬川原平が中心となって見出した「トマソン」という概念を手がかりに「観察」と「ものや空間それ自体を扱う」練習を行う。
練習内容:町へ出て、風景の中から「彫刻」を見つけ出し、それにタイトルをつける。
①イントロダクション(宮崎によるレクチャー、靴のアイスブレイク)20分
②外に出て街に潜む「彫刻」を見出し、タイトルをつける 45分
③発表 120分
②で行うことの注意:街に潜む「制作物」は、芸術作品を作るようなプロセスだけではなく、意味や用途に還元されない場所(物)の「状態」に目を向けることで見出される。それは風景や都市を素材として観察することであり、今回はそれを広義の「トマソン」として定義する。そうするためには、場所や物の意味を解体する必要がある。今回は、観察することを通して物の意味が解体されるプロセスに精一杯目を向けること。
制作的行為が生まれるには、意味が解体されるプロセスを必ず経由する。そしてその経由こそが、制作が芸術の必要条件でありながら、芸術の枠組みを超えて外と接点を持つ最大の特筆すべき点である…と私は思う。
では実際に②で行うことの手順を詳しく箇条書きする↓
Ⅰ.まずは直感的に路上を観察し、様々なものに焦点を当ててみる。その中から特に気になった物や場所をストックし、最も気になったところを「彫刻」にする。その際の判断は直感のままで良いし、何も言語化できなくて良い。ただ直感で。
Ⅱただし、ここからただの直感で終わらせないための練習をする。紙とペン(無い人はスマホでも良い)を使って、なぜこの物や場所が気になったのかをメモに書きながら考えてみる(単語の羅列でも良いし、まとまってなくて良い。むしろまとまっていない方が良い)。その際は下記の3つのアプローチで考えること。3つのアプローチごとに分けて書けると良い。
○その物やそのものがある場所はどのような状態か?(倒されている、刺さっている、並んでいる、突き破っているなど)
○その物やそのものがある場所はどのような役割を持っている(いた)か?
○なぜそれが気になったのかの直感ではない客観的な分析(上記のカテゴリーを手がかりとしながら)
Ⅲ.書いたメモをもとに、その物(場所)と自身とのダンス未満のアクションを考案し、それを映像に記録する。
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宮崎メモ:
「そして生徒たちとじっさいに町へ出て、壁や電柱にあるビラ、ポスター、標識、看板といったメッセージ類の観察をはじめ、それが横道にそれて現代芸術遊びが生まれる。つまり路上に転がる材木やその他日常物の超常的状態、道路工事の穴や盛り上げた土や点滅して光る標識などを見て、「あ、ゲンダイゲイジュツ!」と指でさす。これは概念となってなお画廊空間で生きながらえる芸術のスタイルへ向けたアイロニーでもあった。その延長線上で、一九七二年、松田哲夫、南伸坊とともに四谷祥平館の壁側に「純粋階段」を発見し、そこから「超芸術」の構造が発掘されて、後に「トマソン」と名付けられることになる。」
『路上観察学入門』「我いかにして路上観察者となりしか」赤瀬川原平 p.13 強調は宮崎
純粋階段の写真(意味や役割が失われ、ただのオブジェとなったもの)blog.sapporo-ryu.com/?eid=956 より
つまり、トマソンはある存在がその意味や役割を失った無用の産物である。そしてトマソンは「超芸術」として定義されることになる。
「超芸術」=芸術を超えたもの…どういうことか?
→芸術とは人為的に創作されたものであるが、「トマソン」は意図せずこうなってしまった、というように、観察したり、見出すしか無いものである。
芸術を「意味なきもの」の美学と定義すれば、「トマソン」はそれ自体が人為的な創作なしに芸術性を孕むという点において、芸術の上位概念に置かれる。
「意味なきもの」の美学は、言い換えれば、「状態」の美学とも言えるだろう。
赤瀬川らはそれを「意味なきもの」を純粋な状態であると定義しているが、私は、「意味なきもの」は物や場所自体の直接介入し、機能を拡張させることができるものであると思う。
ゆえに、「トマソン」は制度的なものに介入するためのプロセスである。
これらを踏まえて見えてくることは、トマソンは彫刻と未だ呼ばれていないものの彫刻的状態であるということであろう。
*参加者によるワーク中のメモ

【第三回】
収集/今和次郎になる(地図を作る)練習
参照文献:『考現学入門』今和次郎・著 筑摩書房
練習概要:今回の練習では、「考現学」という概念および活動を参照し、路上・街・都市のあらゆる存在を即物化し、採集してまとめることを試みる。即物化とは測量可能なものとして捉えると言い換えてもよい。そこではやはり、意味が解体されている。測量化はフィールドワークにおける最も根本的な行為であり、それを行うことで、都市の制度や生活との関わり、都市がどのように機能しているかなど、様々な状態(容態)に気づいたり、分析できたりできるようになる。
つまり、先に意味があるのではなく、後から意味を考えるための手がかり。採集を通して社会を見る練習であり、固有の地図を作る練習であり、制作での介入への第一歩である。
練習内容:町へ出て、風景にあるものや行き交う人々を即物的に観察、調査、収集し、そのアーカイブを一枚の紙にまとめる。その際、自身の身体を使って何かを測量するなどできるとよい。
①今回は2人1組のペアを作ってワークを行うので、それぞれペアに分かれる。
②イントロダクション(宮崎によるレクチャー) 20分
③外に出て路上を観察しながら、それを手がかりに調査・収集対象を決める(つまり、範囲を決める)。その際、ペア同士でたくさん話し合うこと。(自転車使ってよいです) 30分
④調査に最適な場所へ移動。調査開始。 45分
⑤調査結果を図面に書き起こす。 45分
*④と⑤のワークはペアで分担・協力しながら同時並行で行えるとよい。
⑥最後、書き起こした図面を公共の場所のどこかに掲示(設置)する。現地解散。
*設置できたら、設置場所の位置情報をGoogleマップのリンクで宮崎に送ること。また、設置した様子の写真と、書いた図面の写真を必ず撮影して、宮崎に送ってから解散すること。
考現学的な観察の方法 心持ち編:
○街にはあらゆる物や事象で溢れている。そこには様々な意味や役割があると言えるが、そんな様々な事象の一部の範囲に焦点を当て、それを計測・採集することで、普段の世界とは違った視点で社会や生活の制度、インフラ、環境などを定義することができる。
○街や都市には、都市で生きる(動く側)の視点と、都市を生み出す側の視点がある。高原学は、その双方を含む観察方法である。まずは都市で生きる側の視点で捉え、そこから生み出す側の視点を脱→再構築する手がかりとなる。
考現学的な観察の方法 実践編1:マンホールを例にして
○物自体の状態の分析→マンホールの素材、模様、サイズ、どんな場所にあるか
○物の状態の比較→マンホール①とマンホール②との模様の違い、場所の条件の違い
○物同士の関係から見出せるもの→マンホール①とマンホール②との間の距離、マンホールの配置を地図のようにマッピングする
○物の分類→マンホールの模様や場所の性質の統計をとってグラフ化する
考現学的な観察の方法 実践編2:身体的な関わりによってものを捉える
○身体を使ったアクションによる測定→挟まってみる、登ってみる、覗いてみる、触ってみる、寝そべってみる。音を鳴らしてみる。これらのアクションを通して実践編1のアプローチに昇華する。ちゃんとモチーフの範囲を制限すること。計測する物の範囲が広いままで行うと収拾をつけにくくなる。
考現学的な観察の方法 ヒント編:どうしても自分達で範囲を決めきれない、時間が間に合わない、というペアは私にすぐ電話すること。通話でヒアリングします。
*人を対象とする場合、固有の存在を定量的な数字として観測することの暴力性を含みうるものとして何をみることができるか、丁寧に考えられると良い。
他者と自身の動きについて考えてみること。
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宮崎メモ:
考現学は考古学の対義語として位置付けられる造語。
→今和次郎が戦後、スクラップアンドビルドされる最中の街を観察し、それをスケッチして回る活動から始まった。
*過去の参加者の記録

*過去の参加者の記録

【第四回】
制作編/世界につまずいてみる
《概要》 2〜3人のグループを作り、自分の個人的な問題設定や普段考えている興味関心、哲学的思考などをとにかく洗い出しそれを自身の置かれた環境や境遇、その思考に関わる制度的な空間と結び付ける。そこから出たキーワードをもとに、関東圏内の特定の場所を選び、フィールドリサーチする。
《内容》
- まずは各人が自分1人で自分の興味関心、思考、置かれた環境境遇に対して思うこと、制作やそれ以外での興味関心、社会に対する躓き(疑問)などを箇条書きでメモする。(15分)
- グループに分かれて、メモしたことをもとに自分の考えたことを話す。聞き手の学生はその話を聞きながら、質問を返し続ける(☜これが一番大事です。わからない話があったら正直に、「わからないからもう少し教えてほしい」といいましょう)。 また、話を聞く側は、話を聞きながら私が配る付箋にメモをして、私が配る紙に貼っていきましょう(30分)
- ここまでの話をもとに、付箋のメモの貼る位置を変えながら、自分たちの問題意識を制度や空間に拡張して考えられそうな場所、地域、その性質を考え、フィールドリサーチするエリアを決める(30分)
- フィールドリサーチを行い、それを何かしらの形でプレゼンテーションできるようにまとめる。 *フィールドリサーチのやり方は、これまでの練習で行った風景の見方や考現学のあり方などを必ず参考にしながら行うこと。例えば特定の施設をリサーチしたい場合でも、そこまでの道中や周辺の物事も見る。 *フィールドのエリアは広くても狭くても良い。(ただし関東圏内に限る)。 *プレゼンテーションのまとめの様式は自由とする。パワポでまとめるでもよし、ドローイングをたくさん書いてまとめるでもよし、考現学的収集でもよし、動画でもよし。ただし、楽するために様式を選ぶのではなく、出力としてふさわしいと思った様式を考えること。
*過去の参加者の記録



【第五回】制作編/制作(問い)をデザインする
《内容》
下記画像を参照
